<第134回>
みなさんは、何歳ごろに「この仕事をしたい」と決めましたか?私は、声が出ない生活を10歳までしていたので、声を使う仕事にこだわりを持っていました。大学に入ると、すぐに東宝学園のアナウンス課にも入学。話すことの楽しみを存分に味わいました。当時の先生は、元NHKの竹山昭子先生。理由はさだかではありませんが気に入っていただき、竹山先生には、当時先生が大学で教鞭をとっていらした社会心理学や憲法解釈や論述のご教示をいただき、従業も聴講させていただきました。「自分の中に眠っているものが、まだまだ、あなたにはいっぱいあるのよ。あなたの瞳はその可能性でキラキラしているわ。その可能性に魅力を感じる人がきっと現れるわよ。」と新宿駅の喫茶店でおっしゃっていただきました。少し照れますが、一生忘れることのない記憶です。その直後、当時のテレビ朝日の木村純一ディレクター(その後、クレヨンしんちゃんなどを手掛ける有名プロデュ―サー)に声をかけていただき、教育番組のレポーターを経験させていただくことに。17歳で大きな病気をして、自分の人生にどこかであきらめを持っていた私の人生に春風が吹きました。そしてそのことが今の「研修講師」としての「話し方・熱の伝え方」につながり、私の人生を支えてくれています。