近年、離婚の増加に伴いシングルマザーが増えています。
シングルマザーのもとで育った子供は経済的に恵まれず、充分な教育を受けることができないとも言われており、「シングルマザーの貧困」は一つの社会問題と化しています。
また、離婚を経験している人の多くはその事実を隠す傾向にあり、いまだに、“離婚=よくないこと”という認識が蔓延しています。
そこで今回は、離婚を経験しシングルマザーとして一人息子を育てている、社労士の平野夏子さんへインタビューを行いました。
平野さんは、「離婚によって新しい人生の一歩を踏み出すことができた」とポジティブに語ります。
「確かに経済面では大変です。しかし、死ぬ気で頑張れば乗り切れないことはない」と話す平野さんは、収入を増やす努力も怠りません。
本記事では、平野さんの日常をお伝えすることで、シングルマザーの新しい考え方についてご紹介できればと思います。
□プロフィール□
平野夏子 野崎労務管理事務所 社労士
早稲田大学卒業後、イギリスへの語学留学を経て、バイオ技術を扱う特許事務所へ入所。
結婚,妊娠後は、今後のキャリアを考え、資格のある専門的な職業につきたいとの思いから、社労士の資格へ挑戦。出産,育児,試験勉強を同時期に乗り越える。
中野区在住。2017年5月に離婚。4歳の息子を育てるシングルマザー。
経済的な問題は「死ぬ気」の努力で乗り越える。
――本日はよろしくお願いいたします。
士業の先生の事務所という感じで書類や本がたくさん置かれていますね。普段はこちらの事務所で働かれているのですか?
平野(以下敬称略):
はい、普段はこの事務所で事務手続きをメインに行っています。ただし、離婚してからは、事務手続きは所長である叔父に任せて、私は事務所の収入を増やすために、顧問先へ助成金取得の提案をしたり、就業規則作成のアドバイスをしたりと、割りと営業的な活動をしています。
――離婚してから営業を始めたというのは、所の収入を増やさなければならない理由が何かあったのですか?
平野:
私の収入を増やす必要があったのです。(笑)
当事務所は顧問先を約70社持っていますが、基本的には書類等の事務手続きのみを受け持っているので、顧問料がものすごく安いんです。
そのため、離婚前は月収20万円と決まっていたのですが、離婚後は月収20万円では立ち行かなくなるのは明白でしたので、所長へお願いし、「私が所の収入を増やしに行くから、増えた分の半分は私に下さい」と交渉して実際に営業活動を行った結果、収入を2倍近くふやすことができました。
――2倍とはなかなかですね!
平野:
やはり、離婚をして一番大変なのは経済面です。貯金を食いつぶすばかりで、あと3ヶ月で底をつくところまでいったときには本当に焦りました。
収入を増やそうと思って、先程お話した営業活動は勿論のこと、他の社労士から仕事を受託したり、あとはいらないものをメルカリで売ったり、とにかく収入源を増やそうと努力しましたね。
結果、全体として離婚前の2.5倍にまで収入を増やすことができたんです。客観的に見たらすごいことなのだと思いますが、私自身はとにかく必死で、「やらないと死ぬ!」という一心で突き進んでいました。死ぬ気でやればなんだって出来るんだな、ということがよくわかりました。
今、やっと離婚してから生活が安定してきたところですね。
女性が所得能力を失わないために。
――平野さんは経済面でとても自立した考え方をしておられますね。離婚後1年も経たずにここまで持ち直せるのはなかなかすごいことだと思います!
平野:
私は、もともと相手の収入に頼ろうと思ったことがないのです。収入で結婚相手を選ばなかったことが、今に活きているのかもしれませんね。
――男性の収入に頼ろうとしないのには、何か理由があったのですか?
平野:
そうですね。実は、私の両親は私が高校生の時から別居をしているんです。それで、母が父と離婚したいけど所得能力が無いために離婚できないでいる姿をずっと見ていたので、子供の頃から「所得能力を失ってはいけない」という前提が私の中にありました。
女性が所得能力を失わずに生きていくためにはどうすれば良いのだろう?と考え、漠然と何がしかの専門職につきたいなと思っていたんですよね。なんだかんだ言っても、結婚して、子供を産んで、子育てをして、とブランクが空いてしまえばキャリアは途絶えて、元に戻ることはできない。つまり自分の力で何とかするしかない、というのが私の考えです。
そして、ちょうど妊娠が分かったときに、叔父が社労士の事務所を辞めたいと言っていましたので、それなら私がやろうかなと思い立ち、社労士の資格を取ることに決めたんです。
――ご両親の影響がかなり強いようですね。
社労士の資格も合格率が5%ほどと聞いたことがあるのですが、取ろうと思って取れてしまうところがすごいです。
平野:
妊娠期に勉強を始めて1回目は落ちてしまったんですが、2回目で何とか受かったんです。当時は本当に、二宮金次郎みたいに息子をおんぶして本を読んでましたね。(笑)
育児真っ盛りでしたので、片手は子供、片手は教科書という感じで、寝たなと思った瞬間に勉強に集中して、というその繰り返しでした。
当時は、2回目も落ちてしまったら“ここから1年間収入が無い”という状況に焦っていて、とにかく必死に取り組んでしましたね。
※後編は1月16日に公開します。今しばらくお待ちください。