Mammy's paper(マミーズペーパー)の「記事」

はじめに

マミーズペーパーでは、7月より新コンテンツ「女性労働協会認定講師による“復職”の道しるべ」(前3回)を配信いたします。
一般財団法人女性労働協会(http://www.jaaww.or.jp/index.php)にて、社労士の認定講師として活躍され、講演やカウンセリング経験も抱負な 日隈久美子 氏 を講師に迎え、働くママが知っておくと有利な制度について、できるだけ簡単にお伝えしていきます。

配信は全3回を予定しております。
第1回目に、日隈先生自身の復職ストーリーについて。
第2回目に、復職前に知っておきたい“社会保障”について。
第3回目に、復職前に知っておきたい手元に一番お金が残る給料金額について。
上記3コンテンツ以外にも、「こんな話を聞いてみたい」「こんな相談がしたい」というご要望がございましたら、随時コンテンツを追加してまいりますので、お気軽にお問い合わせくださいませ。

□プロフィール□

日隈 久美子(ひのくま くみこ)
一般財団法人女性労働協会認定講師 / 特定社会保険労務士
大学卒業後、全日本空輸株式会社(ANA)へ入社。成田空港特定地上職にて勤務後、寿退社をする。娘さんを出産後は、「もう一度社会に出たい」「何かがあったときのために手に職を持ちたい」という想いから社労士を目指し、1年の猛勉強の末に見事合格。現在は、社会保険労務士法人NACマネジメント研究所で法人社員として働く傍ら、女性労働協会認定講師として、多くの働く女性をサポートしている。

 

何かを変えたいと思い引き寄せた、社会保険労務士との出会い

――日隈先生、この度は連載のお引き受けありがとうございます。第一弾として、まずは日隈先生ご自身のことをお伺いしたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。

日隈(以下敬称略):
こちらこそ、よろしくおねがいします。私の娘はもう大学3年生なので、今小さなお子さんを育てていらっしゃる方とは少し世代が違うかもしれませんが、少しでも参考になるお話ができればと思います。

――日隈先生は現在社労士でいらっしゃいますが、大学卒業後は全く違うお仕事をされていたのですよね?

日隈:
はい、私は大学卒業後、全日本空輸(ANA)へ入社をしました。成田空港の特定地上職、旅客部旅客課で2年半ほど働いた後に、職場結婚をしまして、そのまま寿退社をしました。今では寿退社をする人は少ないと思いますが、当時は「社内結婚をしたら奥さんは辞めるよね」という風潮があり、私も特に疑問に思わず、むしろ「家庭に入って良い奥さんになろう」という気持ちでいっぱいでした。いま考えると勿体無い選択でしたね。(笑)
結婚の1年後には娘が生まれましたので、そこからは子育てに力を注ぎました。しかし、しばらくすると、なんとなく日々の生活に物足りなさを感じるようになったんですね。当時は専業主婦でしたので、毎日子どもの世話と家事をやるだけの生活に何か物足りなさを感じてしまって。ずっと家にいるのは私には向いていなかったのだと思います。

――当時は専業主婦になるのが当たり前の時代だったのですね。その後はどうされたのですか?

日隈:
「もう一度外に出たい」と夫に伝えました。そうしたら「家のことが疎かになるならやらなくていい」と言われてしまいまして。ただ、私はどうしても外に出たかったので、主人の賛成が得られないまま「家事はちゃんとやるから!」と言ってパートを始めました。
それから2年くらい経った頃でしょうか。たまたま前職で私の次に寿退社をした同期と食事をしており「私資格取ったんだ~」という話を聞いたんですね。どうやら子どもが幼稚園に入ったら復職するというのです。詳しく聞いてみると、彼女の叔母さんが社会保険労務士の事務所を開いており、そこで務めるためにその“社会保険労務士”という資格を取ったということでした。
当時の私は、「社会保険労務士ってどういう資格なの?」というくらい無知で何の知識もなかったのですが、社労士は会社の総務や経理部門でも働けるし、社会保険・労働保険・年金の知識を身につけてアドバイスや手続きができるということを教えてもらい、相手のためにもなる上に、持っていると強い資格だなんて素晴らしいと感じて、翌日には本屋に行き社労士の資格の本を漁りました。

――ものすごい行動力ですね!

日隈:
国家資格ですし、難しいんだろうなというのは資格の本を読んで分かったのですが、「一度試してみよう」と腹を決めて、そこから勉強をはじめました。
目指すのであれば本気でやろうと、資格の学校にも通いました。学費は想像以上に高かったのですが、これまでのパートの貯金をすべてはたいて、それでも足りない分は夫に前借りをして通いました。社労士の勉強は1年間と決めていたので、当時は本当に必死でひたすら勉強をしていましたね。朝、娘を幼稚園に送ったあと、パートの日は勤務後お迎えの時間まで勉強し、お休みの日は朝から晩までずーっと勉強をしていました。そして、なんとか無事に試験に合格することができました。

大不況時代に振り回されながらも決めた独立の道

――社労士の試験を1年で合格するというのはかなりすごいですね!

日隈:
ありがとうございます。ただ、大変なのは資格を取ったあとだったんですね。
その当時の私は資格を取ることに夢中で、その先に続きがないことを知らなかったのです。なので、資格取得後の職探しは本当に苦労しました。当時は、今みたいに売り手市場ではなく、資格を取りたての社労士を雇ってくれる会社はなかなか見つかりませんでした。「新人を教育する暇はない、“即戦力”が欲しい」というところばかりで、困り果てた私に手を差し伸べてくれたのが、私に社労士になるきっかけを与えてくれた前職の同期でした。彼女は叔母さんの社労士事務所に入る前に一度違う事務所で経験を積んでいたようで、彼女が抜けたところに入れていただくという形で、同期の紹介でなんとか仕事を見つけることができました。本当にありがたかったですね。

――士業の方は、資格を取ったあとに苦戦する方が多いという話はよく聞きますが、時代的にもなかなか大変だったのですね。

日隈:
時代は厳しかったですね。その後、社労士として働きはじめて4年が経った2008年、皆さまも記憶に新しい“リーマンショック”が起こりました。当時私は、小学校上級生に上がった娘が学童に通えなくなった経緯から雇用体系をパートへ切り替えて時短勤務で働いていたので、いわゆる「派遣切り」にあい、首を切られてしまったのです。
一時は職を失ったものの、4年間の実務経験があったおかげで、次の事務所はすぐに見つけることができました。ただ、いざ働いてみるとどうも社の雰囲気や方向性が私になじます、モヤモヤしていた頃に社労士専門学校同期の飲み会があったんですね。
私は、現状の悩みについて仲間に打ち明けてみたんです。するとある同期が「旦那さんがいて扶養の範囲内なら独立しちゃえば?」と言ったんです。正直「えっ…?」とかなりびっくりしました。独立なんてそれまで考えたこともなかったですし、なんとなく能力がある人がするものというイメージもあったので、「私にはお金もないし、人脈もないし、、」とうじうじしていると「まずは独立した場合としなかった場合のメリット・デメリットを書いてみなよ」というアドバイスを受け、私は帰宅後すぐにメリット・デメリットを洗い出して、ノートに書き綴りました。

――思い立つとすぐ行動する、その行動力が今の日隈先生を作っているのですね!実際書いてみていかがでしたか?

日隈:
実際ノートに書き綴ったところ、独立するメリットのほうが圧倒的に多かったんですよ。なので私も腹を決めました。「もう独立するしかない!」と。そして翌日には辞めますと会社に伝え、実際の離職は2009年の4月だったのですが、7月1日には開業をしました。事務所を探して、作業用のPCをそろえて、名刺を作ってと大変ではありましたが、心はワクワクしていましたね。

――独立するとなると手続きなども含めて大変そうなイメージですが、それを子育てと両立して行っていたのですよね。

日隈:
そうですね。案外独立してからのほうが時間に融通が利いて良いこともありました。一から独立するということは、ある意味こちらが働きかけない限りお客様も増えていかないので、タスク量を自分でコントロールすることができるんですね。
ちょうどそのときに娘の中学受験がありましたので、娘の受験を付き合うことができたのは良かったです。

どれだけブランクがあろうとも、気持ちがあればいつからでもバリバリ働ける
――娘さんは中学受験をされたのですね。何か教育方針があったのですか?

日隈:
いえ、娘から受験したいと言われたんですよ。
ある日テレビを見ていると「この学校に行きたい」と言い出しまして、それはもうびっくりして、中学受験すると塾にも通わなきゃいけないし、お友達とも離ればなれになっちゃうよ、と少し諭したんですが、それでも「行きたい!」と言うので、それなら頑張ろうと受験することにしたんです。案の定、夫は大反対で「私立受験なんてとんでもない!」と言われてしまったのですが、「娘が行きたがっているんだからいかせてあげようよ」と説得して、娘と二人三脚で無事受験に合格することができました。

――開業したことで、ある意味子育てと仕事のバランスを自分でコントロールできるようになったのですね。
それにしても、専業主婦から社労士の資格を取得し、独立するに至るとは当初想像もできなかったのではないですか。

日隈:
そうですね。独立後も様々な縁があり、現在は社労士法人で法人社員として働いています。とにかく私の経験から言えることは、どれだけブランクがあろうとも気持ち次第で今一度しっかりと働くことができるということです。
私の場合は、専業主婦が3年、そこからパートや時短勤務を経験したので、バリバリ働くスタイルに戻るまで10年の間がありました。それでも今は特に問題もなく働けています。

――今だからこそ言える、仕事と子育ての両立で大変だったことはありますか?

日隈:
一番印象に残っているのが、社労士の資格を取って一社目のフルタイムで働いている頃でしたが、小学生の娘を学童に預かってもらっていたのですが、学童は6時半には終わってしまうので、残業で6時半までにお迎えに行けないことがあると、近くの保育園に延長で預かってもらうことがあったんです。終業後保育園に急いで迎えに行くと、真っ暗いなか一部屋だけ光が灯っていて、娘と先生がぽつんと残っているんです。娘はとくに文句を言うことなく「ママお帰り~」と言ってくれましたが、2~3回そのような状況を経験して「これはいけない、可哀想だ」と感じて、働き方を改めました。復職したてで頑張りたいという気持ちも強かったのですが、働き方のペースはしっかりと調整していかないといけないと感じましたね。
あとは、やっぱり体力的に身体がきつかったですね。仕事が終わって帰ってきて、ご飯を作って、宿題をさせて、子どもを寝かせて、つられて自分も寝ちゃって(笑)、朝慌てて起きて持って帰ってきた仕事をバタバタと片付ける、ということもよくありました。

その中で本当にありがたかったのは、ママ友の助けでした。当時は働くママさんも多くはなかったので、私の状況を知って助けてくれるママ友はたくさんいました。ただし、やっぱり世の中「ギブアンドテイク」ですから。何か助けてもらったら、私もお返しをすることを心がけていました。平日は動けないので、休日にお子さんを一緒に遊びに連れていってあげて、ママ友を休ませてあげたり。本当に些細なことですが、「助け合い」を大切にしていました。
これは次のパートでもお伝えしますが、働くママさんは常に謙虚な気持ちで、助けてもらったら助け返すというのが大事だと感じています。

――「助け合い」の精神が大事ということですね。
日隈先生、ありがとうございました!次回のコンテンツも楽しみにしております。

今回は、日隈先生のストーリーをお伝えいたしました。次回からは復職を考えているママさん必見の専門的内容をお届けいたしますので、お楽しみに!

EndoAzusa
EndoAzusa
マミーズペーパー編集部所属のライターです。 日本の歴史と文化、自然をこよなく愛する。将来は地方で教育環境を作るのが夢。 昔から文章を書くのが大好きで、現在はライターとしてインタビュー記事やイベント開催報告記事を書くことが多い。

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